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林裕人氏、“トラディション”を語る vol.2
名古屋フィルハーモニー交響楽団でテューバ奏者として活躍され、愛知県立芸術大学と名古屋音楽大学で教鞭を執る林裕人氏に、これまでのご経歴や、ご愛用中の楽器〈メルトン・マイネル・ウェストン〉Fテューバ“トラディション”について、お話をお聞かせいただきました。2回の記事に分けて掲載します。(文:今泉晃一、2021年11月)
【インタビュー後編】 インタビュー前編はこちら
Fテューバ “トラディション”との出会い
それにしても濃い1年でしたね。日本に帰ってから演奏は変わりました?
林 変えたつもりはなかったのですが、みんなに「変わった」と言われました。まず音がよりオープンになり、息の使い方、聴くポイントなども変わったのかもしれません。ドイツにいる間に、ミュンヘンの近くにあるゲレツリートという街で新しい楽器を作ってもらったということもあると思います。
〈メルトン・マイネル・ウェストン〉?
林 そうです。楽器を注文する前に、シュテファンの関わった新しいモデルが出るということで吹かせてもらったら、めちゃくちゃいい。それで作ってもらったF管が、この“トラディションMW4260”です。ドイツのオーケストラでは基本B♭管とF管を使います。B♭管は以前から〈メルトン・マイネル・ウェストン〉の195を使っていたので、それをドイツに持っていきました。こちらはシュテファンにも大好評だったのですが、一緒に持って行ったF管はイマイチという反応でした。だから“トラディション”が出たのは絶好のタイミングだったんです。
日本はもちろん、世界的にもかなり早くから“トラディション”を使い始めたということですね。
林 シュテファンに続いて2番目か3番目くらいだと思います。
“トラディション”の開発コンセプト
開発にティシュラーさんが関わっているということですが、どんなコンセプトの楽器なんですか。
林 それまでのF管は、小回りは聴くけれど音がいまひとつとか、オーケストラで使えるような音が出るけれどソロでは使いづらいか、どちらかというものが多かったんです。それを両方できるのがこの“トラディション”です。
ドイツにたくさんある小さな歌劇場では、大ぶりなF管テューバを使うとテューバの音が大きすぎて、歌手からクレームが出るということが多発したそうです。それをマイネル・ウエストンに言ってくるテューバ奏者も多かったそうで、シュテファンももともと歌劇場にいた人なので「何とかしたい」と思っていました。これまではオーケストラで大きな音を出すためにサイズをどんどん大きくしていったのを、元に戻そうということで開発されたのが“トラディション”です。だからベルは直径378mmと小ぶりですが、ボアは19.5mmと太め。だからサウンドはオープンなんですけれど、突き抜けるような音にはならず、柔らかな音色を持っています。
また、それまでのF管はオーケストラで使うと低音域を鳴らすのが難しい傾向がありました。でも“トラディション”は低音域をC管やB♭管といった大きな楽器のように吹けてしまうんです。そういうこともあって、今ドイツではこの楽器に持ち替える人が増えているようです。
開発にはもう1人、アンドレアス・マルティン・ホフマイヤーというソリストも携わっています。つまりオーケストラプレーヤーとソリスト、2人の目線で作られた楽器なので、オーケストラでもソロでも使えるものになったのだと思います。
“トラディション”の仕様
“トラディション”にはいろいろな仕様があるようですが……。
林 もともと5ロータリー(MW4250)と6ロータリー(MW4260)があって、僕は6ロータリーを選び、それに2番管のトリガーを付けています。右手で5つのバルブを操作するのか4つ操作するのか、などもバリエーションがあるんです。僕の場合は、右手の親指を使って第5バルブを操作し、左手で第6バルブと2番トリガーを操作するという仕様にしてもらいました。
6ロータリーを選んだのは、まず替指の種類が多くなること。それから下のFの音を解放ではなく6バルブすべて押して出せることです。FisまでとオープンのFでは音色がガラッと変わってしまうことも多いのですが、押してFを出せることで音色があまり変わらないで済みます。オーケストラだとすごく微妙なニュアンスで低音域を吹くことがあって、6番ロータリーに助けられる場面が今までも多かったので。さらに左手で半音を操作できることで、指使いが楽になることもあります。それから、6本あることで音にも重量感が増す気がするんですね。
ちなみにシュテファンは5ロータリーの4250で、5番を左手で操作するタイプです。さらに左手で2番管と4番管のトリガーを操作する仕様にしていました。
カタログには「シートメタル製法」と書いてあるのですが、これはどういうものですか。
林 技術者に聞いた話ですが、ボトムベンド(ベルの一番下の部分)は、普通は円筒形のパーツを曲げて作るので、太い側と細い側で管厚が変わってくるんです。それに対してシートメタルは扇状の金属の板を2枚張り合わせて、それを膨らませていくので、自然に太い部分と細い部分ができる形状で、管厚が均一になります。そのため全体の金属量が減り、軽量化につながるということです。
職人さんが手作りしなければならないので手間がかかるのですが、音がオープンになり、反応もよくなるという利点があります。金属の厚い部分があると、どうしても音が硬めになるのですが、薄くできることで音が柔らかくなります。それで、先ほどお話ししたような「歌手が嫌がる音」ではなくなるのだと思います。
ただ軽い楽器は今までもあったのですが、それは音も軽くてオーケストラでは使えなかった。“トラディション”は軽い音色にならず、吹いたときの反応のよさにつながっているんですね。
ソロでもオーケストラでも使えるF管
林さんはオーケストラでもF管を使う方ですか。
林 かなり使う方です。たぶん、ほとんどのオーケストラプレーヤーが9割以上C管を使うのではないかと思いますが、僕の場合は4割くらいF管を使っています。音色や曲の性格によって選びますね。例えばチャイコフスキーの交響曲第4番とか第6番《悲愴》などもF管で吹きますよ。もちろんC管でも吹けるのですが、テューバ・コンチェルトのようになってしまいがちです。チャイコフスキーに限らず、ドイツでもオーケストラでB♭管ではなくF管を使う人は多いです。
しかし、今挙げたチャイコフスキーの2曲は、トロンボーンもかなり鳴らす場面が多いですよね。
林 だからといってC管のような大きな楽器でテューバが鳴らしてしまうと、結果的に消してしまいがちです。それよりも、トロンボーンを含めていろいろな楽器とコンタクトの取りやすいF管を使います。ただ、タイトすぎてしまうと曲のよさも出ないし、トロンボーンの皆さんも吹きにくくなってしまうので、ある程度の太さがあり他の楽器とよくブレンドする音で、なおかつコンタクトの取りやすい音が出せるF管を使いたい。
F管なら何でもいいわけではなく、ソロに特化したような楽器はオーケストラでは使えません。だからF管を1本持つとすれば、オーケストラでも使えて、ソロも吹けるF管がベストだと思います。今は名フィルで吹くときにはほぼ100%“トラディション”を使っています。
F管でオーケストラを支えられるのですね。
林 これも考え方次第で、「テューバがオーケストラ全体を支える」と考えると自然にC管やB♭になるのですが、ハーモニーの1つの要素と考えるとF管を選ぶことになります。オーケストラにはコントラバスがいますから、テューバ1本で支えるわけではありません。特にドイツやオーストリアのオーケストラのテューバ奏者が何でもF管で吹いてしまうのは、コントラバスの音が大きいからなんです(笑)。そこにテューバがちょっと音の芯を加えるだけでドイツのオーケストラの低音のサウンドが出来上がるということを、身をもって知りました。
“トラディション”を名フィルで吹いたときも同じように感じました。コントラバスと非常に親和性が高いので、「コントラバスvsテューバ」にならずに、「コントラバス&テューバ」というサウンドになるんです。弦楽器の人たちからも「弦楽器みたいなブレンドしやすい音がする」と言われて、とても嬉しかったです。まさに僕がドイツで学んできたことでもあって、それを具現化できる楽器だと思いました。
“トラディション”はF管の究極形
オーケストラだけでなく、ソロも“トラディション”で吹いているんですよね。
林 2022年に初めてのソロCDがリリースされますが、そこでもほとんど“トラディション”で吹いています。このCDは自分の好きな曲だけを幕の内弁当のように集めました。テューバの名曲で、かつこれまでCD化されていないような曲ばかりです。
特長としては、F管だけでなくC管で吹いた曲も入っています。ソロというとF管ばかりだったので、「この奏者の大きな楽器の音も聴いてみたい」と思ったことが何度もありました。自分自身、ロジャー・ボボのF管を聴いて「これは真似できないわ」と子どもの頃に思ったので、中学生・高校生には役立つのではないかと思います。
本当に、何でもできる楽器なんですね。
林 はい。こんなにいい楽器なのだから、いろいろな人に使ってほしいですね。僕の生徒も何人か使っていますが、「楽器は大丈夫だからあとは努力だ!」と言っています(笑)。でも、弦楽器の人がよく言うように、いい音が出る楽器を吹くことだけでも勉強になることはたくさんあります。しかもこの音が当たり前になっていくと、他の学生へも刺激になって音色が変わっていることもあると思います。
オーケストラでも使えるし、ソロのコンクールに出ることもできる。どんな人にも、どんなシーンにも合う、Fテューバのひとつの究極形を〈メルトン・マイネル・ウェストン〉とシュテファン・ティシュラー先生は見つけたような気がしますね。
ありがとうございました!
左から林裕人氏、ライターの今泉氏
※ 林裕人氏のプロフィールはこちらをご覧ください。
※ 林氏が使用されている〈メルトン・マイネル・ウェストン〉Fテューバ“トラディション”の紹介ページはこちらをご覧ください。