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テューバでフランスと世界をつなぐ

パリ国立オペラ座管弦楽団でテューバソロ奏者を務め、パリ国立高等音楽院教授で若手奏者の育成を手掛けるファビアン・ワルラン氏(以下敬称略)。その経歴や現在の活動について、お話を伺いました。(取材・執筆:佐藤拓、通訳:井上朋実)
 

パリ音楽院教授に就任した注目のテュービストが歩んだ道

 
  最初に手にされた楽器は? まさかテューバではなかったと思いますが。
ワルラン いえ、テューバです。と言ってもフランス式の小さなテューバ・テノール(サクソルン)。8歳の時でした。町の金管バンドを指揮していた父親がテューバも吹き、その音が大好きで「パパのバンドで早く一緒に吹きたい!」と。すぐに町の音楽学校に通って習い始めました。
 
  サクソルンからテューバに変わられたのはいつ頃?
ワルラン 14歳でした。学校のオーケストラにテューバがあり、当時としては珍しく女の子が吹いていました。彼女に頼んで楽器を吹かせてもらったら、最初の1音で全身が響きに包み込まれてしまった。あの感動は今でも忘れられません。ちなみに、その楽器はB&SのF管でした。
 
  その体験もあってテューバ奏者を目指された?
ワルラン いえ、音楽は大好きでしたが、フランス北部の小さな町のバンドを聴いて育った人間にテューバのプロの世界がイメージできるはずがありません。何しろ本物のテューバの音に出会ったのは、17歳でリヨン国立高等音楽院に入ってからの話でしたからね。初めて聴くプロの音の豊かさ、響きの幅広さには圧倒されたものです。
 


メル・カルバートソンの影響

 
  パリ国立高等音楽院ではなくリヨンを選ばれたのはメル・カルバートソン(Mel Culbertson)が教えていたから?
ワルラン ええ。アメリカ人のカルバートソンがリヨンで新しい風をフランスに吹き込み始めた時期で、そのとき習っていた先生にも勧められました。
 
  カルバートソンはフランスの伝統的なテューバの世界に何を持ち込んだのですか?
ワルラン 彼自身がアメリカで学んだこと、中でもシカゴ響の伝説的なテューバ奏者アーノルド・ジェイコブスの呼吸法を中心とした奏法を初めてフランスに導入しました。フランス伝統のサクソルンバスにも、もちろんそれなりの歴史やレパートリーがあり、メトードも整っていましたが、テューバの教育法はまだ確立されていなかった。現代のオーケストラにふさわしいサイズ感を伴ったテューバの演奏法と、ソロ楽器としての新しい可能性を示してくれたのは、フランスではメル・カルバートソンが最初でした。しかも彼はフランスとヨーロッパを心から愛し、終生そこに身を置いて演奏と教育に命を捧げたんです。いまフランスのプロオーケストラで活躍するテューバ奏者は、ほぼ100%がカルバートソンの生徒たちと言ってよいほどです。
 
  一方で、パリ国立高等音楽院にもテューバ科はあったわけですよね。
ワルラン 今は私が教えていますが、一時代前、1970年代頃まではサクソルンの先生がテューバを教えていました。テューバ自体、フランスには1970年代に入って来たのです。当時はサクソルンの先生がテューバ以外にバストロンボーンも教え、みな同じ一つのクラスでした。生徒は合わせて8~9人。現在のパリ国立高等音楽院ではテューバ、サクソルン&ユーフォニアム、トロンボーン、バストロンボーンとクラスは4つに分かれ、各クラス6~7人の生徒が専門のプロフェッサーの指導を受けています。生徒の国籍もインターナショナルになりました。
 
  昔はなぜ一つのクラスだったのですか?
ワルラン 昔のオーケストラのテューバ奏者はバストロンボーンを兼任することが多かったんです。イタリアではコントラバスまで演奏したそうです。もちろん予算的な問題もあったでしょうね。
 
  サクソルンの先生がテューバを教えれば、音色感は両者、似たものになりますね。そうした音色感もカルバートソンは変えたと?
ワルラン 変えました。オーケストラの響きを下から支える存在感のあるテューバの音色をフランスのオーケストラにもたらしました。カルバートソンは音だけでなく、人によって異なるテューバ奏者の「個性」も育てました。私も含め、彼の生徒は全員が個性豊かに演奏します。生徒の興味をひろげ、それぞれが自分の表現をするように絶えず生徒たちを刺激しました。
 


パリ・オペラ座への道

 
  ワルランさんは名門パリ国立オペラ座管弦楽団のソロテューバ奏者として長く活躍して来られました。そこに至るまで、オーケストラ奏者としての実践経験を積む中で一番重要だったと思う体験は?
ワルラン まだリヨンの学生だった頃にシュレスヴィッヒ=ホルシュタイン音楽祭(ドイツ)のアカデミーオーケストラに参加出来たことです。ドイツ、アメリカ、オランダ、日本などいろんな国からオーディションに合格したレベルの高い学生たちが集まり、エッシェンバッハやロストロポーヴィッチらの指揮でコンセルトヘボウやドイツの素晴らしいホールで演奏しました。本物のプロレベルのオーケストラを体験したのはこの時が初めて。フランス人は私一人で、英語も話せませんでしたが、すべてが新鮮でした。この時の3週間を経て、心の底から「オーケストラに入りたい!」と思った。視野を広げることがどんなに大切なことかは学生たちにもいつも言っていますが、各国で行われているアカデミーオーケストラなどはその絶好のチャンスになります。
 
  パリ・オペラ座のポストを手に入れるまでは?
ワルラン パリ管、ラジオフランス、リヨン、ボルドーなどフランスの主要なオーケストラで演奏しながら、フランス、スペイン、ベルギーのオーケストラのオーディションをたくさん受けました。でも、なかなか上手く行かなかった。ファイナルまでは行っても、ポストに手が届かない。どんなに練習し、準備を重ねても、結果が出ないのは辛いものです。
 そんなとき、オペラ座の方が引退してオーディションが行われると知り、背水の覚悟で練習を始めました。飲み会や遊びの誘いを一切断り、練習、練習、練習の日々。家族との夏のバカンスも取り止め、家にこもってひたすら練習を重ねた。その結果は、合格! 翌日からはもちろんパーティ三昧です(笑)。
 


オーケストラ・ピットの中で

 
  オーケストラピットで演奏するテューバなりの難しさがあるでしょうね。
ワルラン もちろんです。パリ・オペラ座が公演を行う伝統的なガルニエ宮と、新しいオペラ・バスティーユは響きが全く異なります。ガルニエ宮は木と石で出来た2000席ほどの古いホール。バスティーユはコンクリートと金属で出来た3000席の新しいホール。同じように吹いては絶対にいけない。しかもバスティーユのピットは上下に動き、深さが変えられます。イタリアオペラの小さめの編成と、リヒャルト・シュトラウスなどの大編成では指揮者がピットの深さを調整しますから、その都度適応しないといけない。歌い手によっても吹き方は変わります。ホールの隅々まで届く声量がある人もいれば、オケが支えないといけない人、あるいは透明感のある音を好む人もいる。テューバ奏者も様々な音の色を提供できるキャパシティを持たないといけません。
 
  現代のテューバは巨大化する方向で進んで来ましたが、ここに来てヨーロッパのオペラオーケストラのテューバ奏者たちから、よりコンパクトな音を求める声が出ていると聞きます。ワルランさんのご意見は?
ワルラン 私の考えも同じです。テューバはアメリカの影響を受けて楽器が大きくなると同時に、様々な問題も生じました。第一は、弦楽器や木管楽器とバランスを取るのが難しくなったこと。また、これは楽器のサイズのせいばかりではありませんが、若い人でジストニアなどの障碍に悩む人が増え始めた。とにかく、数年前から楽器のサイズを小さくしようという動きが出始めたことは、メーカーの開発者たちの話を聞いても分かります。
 もう一つの流れは、作曲された時代の楽器を使って演奏するオーケストラやアンサンブルが特にヨーロッパを中心に増えたことです。私も数年前、仲間と一緒にトマジの《ファンファーレ》をピリオド楽器で演奏する得難い体験をしました。この曲は1950年代に作曲された金管と打楽器のための作品ですが、トランペットとトロンボーンはフランスの当時の小さめの楽器を使い、ホルンはピストンホルン、私はC管のサクソルンバスで演奏した。オリジナルの作品が持つアーティキュレーションや音色のバランスを発見できたのは新鮮な収穫でした。
 学生たちは、ともすると大きな楽器に魅力を感じがちです。思ったよりも大きな音が出れば気分が盛り上がりますからね。しかし大きな楽器では繊細な音を出すのが難しくなる。限度があることを知らなくてはいけません。
 
「オペラ・テューバ奏者の柔軟性が試される最大の見せ場は、ワーグナーのジークフリート第2幕冒頭の長大なソロ。ブレスコントロールの極限を要求されながらも、テューバの最も美しいソロの一つです」(ファビアン・ワルラン氏)

テューバで感情を表現すること

 
  パリ国立高等音楽院は、その歴史から見ても、フランスの伝統を次代に繋ぐ役割を担っていますが、新しく教授に就任されて何を守らないといけないとお感じになりますか。
ワルラン 「守る」という言葉には抵抗を感じますが、大事にしたいのはやはり「音色」と「アーティキュレーション」ですね。音楽は言葉とつながっています。フランス語と共通する発音やアーティキュレーションは大切にしたい。それに加えて、音色とフレーズ感。モーリス・アンドレやミシェル・ベッケなどが共通して持っている音や歌い方は、正にフランスのものです。
 
  ソロでもCDを出されたり作品を書かれたりしていますが、ソロテューバの魅力もまた「歌」にあると?

ワルラン 一番大事なことは、自分の感情を表現すること……これはテューバでも変わりません。昨晩のマスタークラスの最後にフォーレの《夢のあとに》を演奏したら、一人の女性が涙を浮かべながら「感動しました」と私に伝えてくれました。私のメッセージが伝わったのです。演奏では感情がまずそこにあること、これが一番大事で、楽器はそれを表現する拡張器に過ぎません。だからこそ、自分に合った楽器を見つけるには時間をかけるべきなのです。
 

 
  ワルランさんが辿り着いた今お使いの楽器、メルトン・マイネル・ウェストンについては別掲の記事をお読み頂くとして、B&Sやメルトンの開発を束ねるゲルハルト・マイネル氏とはどのような出会いがあったのか教えて下さい。
ワルラン カルバートソンはメルトンを使っていたこともあり、マイネル氏と親しく、マイネル氏は私が学生だった頃からリヨンによく足を運んでいました。以来、私も彼とずっとコンタクトをとるようになり、開発に関わるようになってからは工場でもよくお会いします。彼は世界中のテューバ奏者と密接にコンタクトをとり、技術的な意見交換を行いながら新しいプロジェクトを支え、楽器の開発の可能性を拡げています。世界のテューバ界にとってとても重要な人物。個人的にも尊敬する友人で、一緒によくワインの試飲などをやったりもします(笑)
 
  テューバ界にも若くして活躍する人たちが登場していますが、これからを目指す人たちに一番伝えたいことは?
ワルラン 指導者としての私の目的は、私と同じように演奏できるよう育てることではなく、生徒それぞれの個性を表現できるようにすることです。そのために私は、生徒に曲を書くことを勧めたりもします。私自身、自分を作曲家だとは思っていませんが、それでもテューバの価値を高めたいと思うが故に作品を書き続けている。自分を表現すること、そのために即興したり曲を作ったりすることは、たとえ作曲法を知らなくてもとても重要なこと。だから生徒たちにも「作曲の知識がなくてもいいから、とにかく1曲自由に書いてごらん」と勧めます。こうした行為は創造性を豊かにしてくれますからね。それぞれがそれぞれの楽器を通して一つの花を咲かせること。しかも、それぞれに異なる色の花たち……私はその手助けをするだけです。
 
  ありがとうございました。
 
写真左:ファビアン・ワルラン氏著「Exercices journaliers, suivis de traits d’orchestre」(毎日の練習とオーケストラの抜粋)Billaudot 社出版。フレキシビリティを養うことに重点が置かれた氏の日課練習のやり方はYouTubeでもすでに注目され、英語で書かれた教則本は世界中で愛用されている。
写真中央:初のCD「Art of the Tuba」(レーベル:Indesens)
写真右:オリジナル作品(Jan Bach, Roland Szentpali, John STEVENS)と創作作品(Arnaud Boukhitine, Bastien Stil, Thibaut Bruniaux)によるテューバと弦楽四重奏のためのセカンドCD「Vibrations」(レーベル:Musicadistri)

 

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